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第4回 ネオンサインな日々・其之弐

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第4回 ネオンサインな日々・其之弐
~稲葉亘快氏が語る小林利雄 PART 2

岩佐陽一

 自前のアルバムや、宣弘社に残されていた屋外広告の写真を、稲葉亘快氏は目を細めながら懐かしそうに眺めていた。
 そのうちの一枚に目を留めた稲葉氏は、その写真についてこう語った。
 「これは今でも上野駅の南口にあるよ。猪熊先生の絵ね」

column4-01 猪熊先生とは、我が国を代表する画家の猪熊弦一郎氏。小林利雄氏は猪熊氏とは旧知の仲で、猪熊氏がニューヨークの修行時代、喰うや喰わずのときに、自ら猪 熊氏に風呂敷の原画を発注したという。なお、その風呂敷は、当時、宣弘社が御中元やお歳暮代わりにお客さまに無料で配布したもので、現存率が低いため今は すごいプレミアムが付いているとか。

 「何かの会で久しぶりにお会いしたときに、“利雄さんに風呂敷を作らせてもらったのが生活の糧になった、お世話になりましたよ”とおっしゃってました。僕にお礼を言われても困ったんだけど(笑)」
 面倒見のよい小林氏の人柄を彷彿とさせるエピソードだが、件の上野駅の絵は、所謂“タイアップ広告”と呼ばれるもので、現代パブリックアートの草分けでもある。

column4-02 「駅にいい絵をかけたいけど、お金(予算)がない。(上野駅から)“どこかスポンサーを捜してほしい”と言われ、利雄さんがその足で武田(薬品工業)へ売 り込んだ。それで使用料というか、掲出料をもらってやったんです。だからこれは最初から企画に参加した訳ではないんですよ」
 ここで稲葉氏に、氏の入社当時のお話を伺った。稲葉氏は昭和31(1956)年の入社。当時、新人は出社早々、廊下をモップがけ。その後、先輩のデスクを 必ず拭くしきたりになっていたという。だが……
 「僕は毎日遅刻で、出社したら即、喫茶店に行ってた(笑)」
その上……
 「僕が給料値上げをやったんだよね。まだ組合なんかもなくって。だってみんなさ、着るものだって高いのに、雨の中、ずぶ濡れになって(営業から)帰って来 て、社内で気晴らしっていったら足を組んでタバコじゃない? そんなんじゃどうしようもないし、安い給料……当時8千円とかだから“少し値上げしてもらおうや”と呑み屋で話して。“誰が旗振るんだ?”“じゃあ俺がや るわい”って、交渉に行ったら怒られてね(笑)。俺の親父のところに電話がいって……“新入社員で入ってきたばかりなのに”って(笑)」
 なんともはや、豪快な話ではある。入社早々、労働争議を起ち上げた稲葉氏もすごいが、それを叱責程度で赦した小林社長もまた大人物といえよう。
 とはいえ、何も稲葉氏は権利だけを主張した訳ではない。日々、為すべき勤めを果たしていたからこそ、初めて赦されることなのである。義務も果たさずに権利は主張できないのだ。
「本当にいい時代でした。その代わり皆さん、よく働いたよね、やっぱり。働くというよりは、とにかく自分で動いているという感じだから。人から言われてど うのこうのというのじゃない。営業に行って帰って来たら、みんなズーッと銀座のあの辺(ネオン街)へ沈む(呑む)訳だ、最後は。そういうような感じで1日 が暮れたというか、夜中まで……毎晩ね。だから稲葉商店や石澤商店という具合に、それぞれが自分に責任を持って動いて、売上は会社に全部出すという感じだ から。給料だけ計算していたのでは勤まらない。そんなことを気にしないでいい人ばかりいたからよかった。社長もよく言っていたもん。正月の挨拶で“皆さん のご両親のお陰で宣弘社はもっております”と(笑)」
 小林氏の言葉を少々補足すれば、つまり給料の額面云々ではなく、社員一同が採算を度外視して会社のために仕事に打ち込んでいた事実を意味する。もちろん、 『(愛の戦士)レインボーマン』(72年)の主題歌ではないが、皆若いし、“お金もほしいし、名もほしかった”ことと思う。それでも皆がみな、自分ひとり だけのことではなく、より良い未来や社会全体のことを考えて努力していたからこそ、今改めて昭和30年代を振り返ったときに、“本当にいい時代でした”と いう心からの言葉が出てくるのではないだろうか?
そして、社長である小林氏も、日夜そのための研究を怠らなかった。

column4-03 「研究というより、自分が遊びたかったんでしょう(笑)。アメリカ旅行とかね。でも、ネタを仕込んできて、それがすぐ金に変わる訳だから。その辺の発想の 切り替えが素晴らしい。目の着けどころというかね。それをパッと、この人に合いそうだと結び付けていく……その才能は大したものです」
 最後に、稲葉氏に小林氏への想いを語って頂いた。
 「時代にしっかり合って、泳ぎ切ったという感じよ、世の中を。後ろを振り向いても、みんなついて来ていた訳。僕の後から入った社員は社長のリズムに合っていなかった。僕らの頃は合っていた訳です(笑)」
やはり名社長と、それを支える名社員あっての宣弘社だったのである。

 

 

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